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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1842号 判決 1956年11月20日

控訴人(附帯被控訴人) 刈込伊之吉

被控訴人(附帯控訴人) 鈴木博

主文

本件控訴並びに附帯控訴はいずれもこれを棄却する。

当審における訴訟費用中、本控訴に関する部分は控訴人の負担とし、附帯控訴に関する部分は附帯控訴人(被控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という。)の訴訟代理人は「原判決中控訴人の敗訴部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という。)の訴訟代理人は本控訴につき控訴棄却の判決を、附帯控訴の趣旨として「原判決中被控訴人の敗訴部分を取り消す。控訴人は被控訴人に対し更に金四十万円及びこれに対する昭和二十七年十一月十七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実並びに証拠の関係は、

被控訴代理人において、

(一)  控訴人は遠洋鰹鮪漁船第五刈込八幡丸(船質鋼、総噸数九九噸一八)を所有していたが、昭和二十七年三月十八日に該船舶並びにこれに附随する遠洋鰹鮪漁業許可権を含めて訴外岡崎覚三郎に代金総額を金七百二十万円と定め、該代金のうち金五百六十八万円は復興金融金庫(後に右債権は日本開発銀行に承継された。)及び株式会社第七十七銀行に対する控訴人の抵当権附債務を岡崎覚三郎がその免責的引受をすること、その余の金百五十二万円は分割払とする等の約束で売り渡し、且つ、該船舶を岡崎覚三郎に引き渡したので、同人はこれを運航して自己の計算で遠洋鮪漁業に着手した。

(二)  而して岡崎覚三郎は、同年四月二十七日頃該船舶に対し共栄火災海上保険相互会社との間に保険契約者岡崎覚三郎、被保険者控訴人、保険金額金八百万円、保険制限金額金八百万円等の保険契約を締結した。

然るに控訴人は右と同一の保険の目的につき右同日頃別個に日産火災海上保険株式会社との間にも保険契約者及び被保険者控訴人、保険金額金四百十八万円、保険制限金額金四百十八万円等の保険契約を締結した。因みに右保険契約は抵当権者である日本開発銀行が控訴人を代行して契約したので、右二つの保険契約が同時保険であること並びに前の保険制限金額が金八百万円に過ぎなかつたことの欠点に気付かなかつたのが実情である。そのため、共栄火災の保険制限金額は金千二百十八万円以上にしなければ、保険約款第四条に牴触し、保険会社にその損害填補責任がないことになる欠点があつた。

(三)  然るところ、前記船舶は双方の保険期間中である同年六月二十四日千葉県安房郡保田町沖合海上で海難坐礁し、保険事故が発生したので、被保険者たる控訴人は右双方の保険会社に対し保険の目的物を委付して双方の保険金を請求しようとしたところ、日産火災の金四百十八万円は異議なく支払を受けられるが、共栄火災の金八百万円は前記のように保険証券記載の保険制限金額が金八百万円となつていた関係上同一保険目的に対し日産火災に金四百十八万円の同時保険が契約されている事実が判つたので、保険約款第四条第一項本文並びに同条第六号に該当し、全然損害填補責任がないか、然らずとしても金八百万円から金四百十八万円を差し引いた金三百八十二万円だけが担保責任範囲であると共栄火災から主張されるに至つた。加うるに右共栄火災の金八百万円の保険契約は前記のように本件船舶の買主岡崎覚三郎が保険契約者として契約したものである上に控訴人との売買契約証書には保険事故が発生した場合本件の如き全損の保険金は控訴人において該売買代金の未払額たる金百五十二万円だけを受け、その余は岡崎覚三郎が取得する約定があつた関係上、岡崎覚三郎はこの共栄火災の保険金は自己が受くべきものであつて控訴人の取得すべきものではない旨を共栄火災へ申し入れたため、事態はますます紛糾し、控訴人の右保険金受領は至難となつたのである。

(四)  そこで控訴人は右保険金受領の至難であるのを感知し、同年七月二日被控訴人の自宅を訪れ、該保険金の受領に関連する一切の事項を弁護士業務として委嘱し、但し控訴人は当時金がないから保険金が取れた上で十分の報酬を支払うから着手金なしで扱つてくれるよう申し出たので、被控訴人はこれを承諾したのである。

よつて被控訴人は控訴人から本委嘱事件に必要な対岡崎覚三郎関係の事項、船舶の売買及び引渡関係、保険契約の締結事項、双方の保険会社の態度見解、開発銀行等債権者銀行の関係、その他関連事項を詳細聴取し、且つ関係書類を預つた。そして被控訴人は事案を検討した結果、この保険金の取得には保険制限金額が金八百万円となつていることと、保険約款第四条の存在する関係から、このままの状態では共栄火災に表だつて請求することは法律的に困難な事案であると解し、先ず控訴人と岡崎覚三郎とを協力させて共栄火災をして保険制限金額を金千二百十八万円以上に引き上げ修正させねばならぬことを説明し、なお被控訴人においても更に具体的に研究することを約束するとともに控訴人等も岡崎覚三郎及び共栄火災へ折衝を続けて事案の実体を把握するよう指示した。

(五)  かくて被控訴人は更に考慮を重ね、同月四日事案取扱の構想をまとめて控訴人等と会見し、その余の情況を聴取したところ、開発銀行、岡崎覚三郎、共栄火災の態度や見解に対し、被控訴人自ら会談、折衝の必要を認め、即日

(イ)  控訴人と訴外古屋昌雄とを同伴して開発銀行を訪問してこの事件の経過を報告し、且つ共栄火災の金八百万円が取得できなければ同銀行への延滞利息や立替金の完済が困難になるから、保険算定会に対し善処方を依頼させ承諾を得た。

(ロ)  控訴人とその長男義信を伴つて共栄火災を訪れ、同会社の三上義雄、峰村信昭等に会見し、保険金支払方を求めしめて同人等の見解や態度を実見したところ、対岡崎関係の妥協が本件成功の鍵であることを感得した。

(ハ)  同夜前記刈込義信を伴つて岡崎覚三郎を訪問し、同人から事情を詳細に聴取した上当方の事実上、法律上の見解を説明して、岡崎覚三郎と控訴人が相協調して共栄火災に交渉しなければその保険金の獲得は至難であることを説明してその協調を求めたが、岡崎覚三郎は本件船舶の海難によつて事実上の損害を受けたのは控訴人ではなく、岡崎覚三郎であり、保険契約は同人が締結したものであり、又本件船舶の売買契約に附帯して保険金の分配割合も契約しているのだから、同人が金六百四十八万円、控訴人が金百五十二万円でなければ協調できぬ旨を主張し、且つ暗に共栄火災は自分に関係の深い会社であり、その担当者も懇意の人達であるから、自分が協調しなければ保険金取得は不可能であることをほのめかしてたやすく妥協に応じなかつた。

然しながら、岡崎覚三郎との妥協の成立がこの事件の成否の鍵であるので、被控訴人は翌五日同人を控訴人の宿所宝陽館に招き、被控訴人作成の協定書(甲第九号証)案を示して協定を求めたが、岡崎覚三郎との妥協は得られなかつた。

(六)  共栄火災の本件の担保係員は前記のように岡崎覚三郎の眤懇者であり、このように法律上及び事実上微妙な関係にある事案を成功に導くには共栄火災の上層部の諒解工作が必要であると認めた被控訴人は親友志津義雄が共栄火災の宮城孝治社長と長年眤懇の関係にあることから右志津義雄をして、親友鈴木弁護士が八幡丸の保険金のことでお訪ねするからよろしく頼む旨の紹介を持つて同月六日頃宮城社長を訪問して本件保険金事件の善処方を要望した。

尤も右会見はその前に二回訪問したが社長不在で面会が得られなかつたため、右会見は第三回目の訪問であつたのである。右会談に際し宮城社長はあとから同会社の取締役海上保険部長鈴木重義氏を同席させ、被控訴人の来意を告げて然るべく処置を促した。その際鈴木部長は前記の保険制限金額と保険約款第四条の問題を言い出して控訴人対岡崎関係の妥協が出来ねば全く保険金を支払わないか或は金八百万円から金四百十八万円を差し引いた金三百八十二万円だけの支払義務しかないから、岡崎覚三郎と協定するようにとのことであつた。

(七)  右の次第から、被控訴人は控訴人と岡崎覚三郎との妥協さえできれば、保険金八百万円全額の取得が可能であるとの見透しを得たので、控訴人の長男刈込義信や訴外古屋昌雄等をして共栄火災等に保険の目的物を委付する手続をとらしめるなど万端の手続を執らしめた。

而して被控訴人はその頃単独で更に岡崎覚三郎を訪問して事の利害得失を説明してその善処方を要請したので、同人も内心は妥協

に傾き、漸次その態度を軟化するに至つた。

(八)  要するにこの保険金請求の成否の問題点は保険証券記載の保険制限金額、保約款第四条の規定のため、日産火災の金四百十八万円と共栄火災の金八百万円がいわゆる契約上の超過保険となる関係から、約款上共栄火災の保険責任の有無が問題となるのである。(但し、後になつて本件船舶の制限保険金額が金千二百十八万円に訂正引き上げられた結果問題が解消するに至つたのみである。)

よつて被控訴人はこのような場合における我が国保険業界の一般取扱実例を調査し、もつて本件の取扱に資するため同月十日頃大正火災海上保険株式会社に到り取締役小橋庸二及び同社業務課長大久保茂等から実際上の取扱例について教を受け、共栄火災に対しその保険証券記載の保険制限金額の修正を求めることの可能且つ必要なこと等を研究して控訴人をしてその申立をなさしめてこれが修正に成功させた。

(九)  以上の外、被控訴人は同月二日から同月二十八日まで約一箇月の間控訴人及び刈込義信、訴外古屋昌雄と常に密接な連繋を保ち、控訴人の宿所、東都水産株式会社、被控訴人の自宅等において十数回に亘つて情報の交換、対策の打合せ、方策等の指示等をなして一連の努力を続けた結果、同月二十四日頃共栄火災の保険証券記載の保険制限金額の修正をなさしめて同社より保険金八百万円全額を控訴人に支払わせることに内定させたのである。

(十)  ところが狡猾な控訴人は前記のようにして保険金八百万円の支払が内定するや、被控訴人への報酬支払を回避するためか、被控訴人に秘して岡崎覚三郎や共栄火災に直接交渉をする気配が看取されたので、被控訴人は同月二十七日控訴人の宿所宝陽館において後日の証拠のため、控訴人をして委任状、(甲第一号証)を交付させたが、控訴人はその後帰省中と称して被控訴人との連絡を断ち、ついに被控訴人に無断で同年八月初め頃直接共栄火災から本件保険金八百万円を受領してしまい、同月八日報酬の内金と称して金三万円だけを被控訴人の不在中長男刈込義信をして被控訴人の自宅に差し置かしめたが、その余の支払をしないのである。

(十一)  この保険金請求事件は前記の次第で事件の性質上訴訟事件とはならなかつたが、非常に難事件であつた上に望外の成功を得たのは如上被控訴人の努力が原由するものである。

更に控訴人は本件保険金八百万円の受領金のうち金二百九十五万円を岡崎覚三郎に渡し、その外に自己の負債である開発銀行、訴外古屋昌雄その他に対する支払を差し引き控訴人自身が現実に取得したのは金二百六十万円に過ぎないとしても、岡崎覚三郎に渡した金二百九十五万円は同人との示談に基くものであり、又それ以外の金五百五万円は現実に控訴人の利得となつているのである。

元来控訴人はこの保険事故が発生しなかつたならば、前記岡崎覚三郎との売買契約に基き、同人から僅かに金百五十二万円を、而も割賦で支払を受け得るに過ぎなかつたのが、保険事故が生じて本件成功のために差引金六百四十八万円の利得を得た外に本件船舶の遠洋鰹鮪漁業の漁業許可に関する権利(金三百万円以上相当)を確保し得たのが実情である。

と述べ、外すべて原判決の「事実」の部分に記載してあるところと同一であるから、ここにこれを引用する。

<証拠省略>

理由

按ずるに、被控訴人の主張事実中、被控訴人が弁護士であること、控訴人は訴外共栄火災海上保険相互会社に対し、本件船舶第五刈込八幡丸を保険の目的とし、保険契約者岡崎覚三郎、被保険者控訴人、保険金額金八百万円、保険制限金額を同額とする海上保険契約に基き、保険期間中である昭和二十七年六月二十四日本件船舶の海難坐礁により保険金請求権を取得したこと、当時本件船舶については前記保険制限金額を超過し、共栄火災の保険と重複して控訴人自ら訴外日産火災海上保険株式会社との間に保険金額金四百十八万円の海上保険契約が付してあつたこと、又前記保険契約者岡崎覚三郎は控訴人との間に本件船舶の買受契約をしており、前記海難時におけるその運航者であつた関係上、共栄火災に対し自己に保険金請求権があると主張していたこと等の問題があつたことはいずれも当事者間に争がない。

而して成立に争のない甲第二号証の一、二、同第三号証、同第七号証、乙第一号ないし第四号証、原審並びに当審における被控訴本人の尋問の結果により全部が真正に成立したものと認められる甲第一号証(但し、控訴人名下の印影の成立については当事者間に争がない。)の各記載、原審並びに当審証人三上義雄、同刈込義信、原審証人古屋昌雄の各証言、(いずれも後記措信しない部分を除く。)原審証人岡崎覚三郎、同高橋晃の各証言、原審並びに当審における被控訴本人の尋問の結果を綜合すれば、控訴人は昭和二十七年三月八日その所有にかかる本件船舶並びにこれに附随する遠洋鰹鮪漁業許可権を含めて訴外岡崎覚三郎に対し代金総額を金七百二十万円と定め、内金四百十八万円は本件船舶につき第一順位の抵当権を有する債権者復興金融金庫(後に日本開発銀行に承継された。)に対する同額の債務、内金百五十万円は同様第二順位の抵当権を有する債権者株式会社第七十七銀行に対する同額の債務を買主岡崎覚三郎において免責的引受をなしてその代金支払にあて、残金百五十二万円は同年八月末日までに三回に分割して支払うこと等の約束で売り渡し、且つ、本件船舶を同人に引き渡したので、同人はこれを運航して漁業に着手したこと、而して岡崎覚三郎は控訴人との約定に基いて本件船舶につき、訴外共栄火災保険相互会社との間に保険金額金八百万円の保険契約を締結したのと同時に、控訴人においても本件船舶の所有権者として訴外日産火災海上保険株式会社との間に保険金額四百十八万円の保険契約を締結したため、超過重複保険となつたこと、(右超過重複保険の点については当事者間に争がないことは前記のとおりである。)然るに前記当事者間に争のないように、その保険期間中である同年六月二十四日本件船舶が海難坐礁して保険事故が発生したので、日産火災においてはその後間もなくその保険金四百十八万円を控訴人に支払つたが、共栄火災においては前記超過重複保険の問題があるため、保険制限金額を超過する部分については同会社には損害填補の責任なしとの意見が出たり、又前記当事者間に争のない岡崎覚三郎の権利主張の問題があり、同人が共栄火災との間の保険契約における契約者であることと、同人と控訴人との間の本件船舶の売買契約においては、保険事故が発生した場合本件の如き全損の保険金は控訴人において該売買代金の未払残額を取得し得るが、残余はすべて買主岡崎覚三郎の取得とする旨の約定があるため、共栄火災と関係の深い岡崎覚三郎は同会社に対し前記保険金八百万円を自己に支払われたき旨の申出をしたので、共栄火災においては控訴人と岡崎覚三郎との間の争にまき込まれることを虞れ、両者間における円満な妥協の成立を希望して直ちに保険金全額を被保険者たる控訴人に支払うことに応じなかつたこと、そこで控訴人は円滑に且つ速かに同会社から本件保険金八百万円の支払を受けんと欲し、さきに控訴人が同年四月七日附内容証明郵便をもつて岡崎覚三郎に対し、前記売買契約に基く未払催告並びに条件附契約解除の意思表示をなすに際し、弁護士たる被控訴人にその相談をなし解除手続の依頼をなしたことのあつた関係から、同年七月二日頃前記売買契約の仲介人であり控訴人の債権者の一人である訴外古屋昌雄と同道して被控訴人をその自宅に訪れ、前記事情を告げてその意見を徴した上、被控訴人に対し本件船舶の海難事故に基き共栄火災に対する保険金八百万円の請求並びにその受領、岡崎覚三郎に対する交渉その他これに関連する一切の行為を委任し、且つ、右保険金受領の上は相当の報酬を支払う旨を約したこと、但し、被控訴人はその際右事件の委任状並びに着手金の交付を受けることなく、これを受任したが、その後同月二十九日控訴人をして後日の証拠のためその旨の委任状(甲第一号証)を作成交付させたことが認められる。原審並びに当審証人三上義雄、同刈込義信、同古屋昌雄、原審証人鈴木重義の各証言、原審における控訴本人の供述中、右認定に反する部分は前顕各証拠と対照して措信し難く、成立に争のない甲第二号証の一、二、同第九号証の各記載によつても未だ右認定を覆えすに足りないし、他に特段の反証はない。

(控訴人は右認定に反して、同年七月二十五日岡崎覚三郎に対する契約解除の件を被控訴人に委任したに過ぎず、而も右委任状は白紙委任状であるとか、或は右委任はその翌日控訴人においてこれを解除したと主張するが、この点に関する原審並びに当審証人刈込義信の証言、原審における控訴本人の供述、或は右主張に副うかの如き原審並びに当審証人古屋昌雄の証言は前顕各証拠と対照して措信し難く、他に反証はない。)

なお原審並びに当審証人刈込義信の証言、原審における控訴人及び被控訴人の各供述によれば、後記の如く被控訴人が初めて共栄火災に赴いて同会社係員に面談した際被控訴人は弁護士の肩書のある名刺を使用せず、単に控訴人の知人として紹介されたが、それは被控訴人が弁護士であることを明らかにすることによつて同会社係員に無用な刺戟を与えないようにとの控訴人等の配慮に基くためであることが認められるから、かかる事実は何等前記認定の妨げとなるものでもないし、又控訴人主張のように認定しなければならぬものでもない。

以上認定のとおりであるから、控訴人は弁護士たる被控訴人に対し、本件船舶の海難事故に基く保険金の請求に関し、共栄火災及び岡崎覚三郎に対する交渉その他これに関連する一切の行為を委任し、被控訴人はその報酬の額を定めずしてこれを受任したものであり、従つて被控訴人は右委任事務の処理により相当額の報酬を控訴人に請求し得るものといわなければならない。よつて更に判断を進めるが、成立に争のない甲第五号証の一ないし三、同第六号証、同第八、九号証、原審における被控訴本人の尋問の結果により真正に成立したものと認められる同第十号証の一ないし四の各記載、原審証人鈴木重義の証言に前顕各証拠を綜合して考察すれば、被控訴人は前記委任を受けたので控訴人等から諸般の事情を聴取し、関係書類を預つた上、前記超過重複保険の問題並びに岡崎覚三郎の権利主張の問題につき法律上の疑義の究明にあたり、控訴人にたいし超過重複保険の問題については、兎も角本件船舶の保険制限金額を共栄火災並びに日産火災の両保険金額の合算額たる金千二百十八万円以上に引き上げ修正させる必要あることを示唆し、又岡崎覚三郎の権利主張の問題については、速かに同人と円満に妥協を成立させるように指示した上、同月上旬中図書館において研究をしたり友人弁護士と相談をしたりし、又控訴人の長男刈込義信、前記古屋昌雄から種々事情を聴取した後岡崎覚三郎と会見して控訴人と妥協するよう極力要望し、更に同月五日頃控訴人及び右刈込義信と同道して初めて共栄火災に到り、同会社海上課長三上義雄、社員峰村信昭に会見して控訴人に対する本件保険金支払につき善処方を求め、又同会社社長宮城孝治と親交があり、被控訴人の友人である志津義雄の紹介状を得て宮城社長に面会し、(その前にも二回訪問したが不在であつた。)その引き合せにより同会社取締役で海上保険部長である鈴木重義と折衝したがその際同人のいうところから被控訴人は本件保険金受領成否の鍵は岡崎覚三郎との妥協成立にあることを察知し、(その頃古屋昌雄の助力により、岡崎覚三郎名義をもつて共栄火災に対し本件船舶の保険制限金額を金千二百十八万円に引き上げ修正させるため、保険算定会を開くことの請求がなされ、保険算定会において結局右保険制限金額引上修正が行われた結果、ここに前記超過重複保険の問題が解消するに至つた。)控訴人及び刈込義信をして共栄火災に交渉させるとともに、自ら妥協案を示して岡崎覚三郎の説得に努めたが、未だ同人がこれに応ずるところまでは行かなかつたこと、その他被控訴人は日本開発銀行に赴いて事件の有利な解決を得べく交渉し、(但し本件証拠上どんな効果があつたかは明らかではない。)結局被控訴人は共栄火災並びに岡崎覚三郎に対しいずれも五、六回折衝を重ね、又日本開発銀行にも一回足を運ぶなどして(以上のうち共栄火災、日本開発銀行を各一回、岡崎覚三郎を二回位訪問したことは控訴人の認めるところである。)控訴人のため本件事件処理に努力したこと、然るに同月下旬頃共栄火災の前記鈴木海上保険部長の斡旋により控訴人と岡崎覚三郎との間に妥協が成立し、同人は本件保険金のうち金二百九十五万円を受領し、残額は全部控訴人においてこれを取得することになつたので、共栄火災は本件保険金の支払を内定したところ、控訴人は同年八月上旬頃被控訴人を介入させずに直接共栄火災から本件保険金八百万円を受領してしまつた(右受領の事実は当事者間に争がない。尤も控訴人の指図により直接共栄火災から岡崎覚三郎並びに控訴人の債権者等に支払がなされたため、控訴人が現実に受領した金員は金二百六十二万余円となつた。)ことが認められる。原審における控訴本人の供述並びに前示各証拠中右認定に反する部分は採用し難く、成立に争のない甲第二号証の一、二、同第九号証によつても未だ右認定を覆えすに足りないし、他に何等反証がない。又被控訴人主張のその余の事実については記録上これを認めるに足る確証がない。

以上認定のとおりであつて、控訴人など被控訴人以外の者の努力が加功していることは否定できないが、一応被控訴人の本件委任事務処理により控訴人において本件保険金を受け取ることができ、その依頼の目的を達したものというべきである。

而して前記認定の事実関係に基き、本件記録に現われた諸般の事情を勘案し、これに当審鑑定人毛受信雄の鑑定の結果を参酌すれば、被控訴人の本件委任事務処理に対する報酬額は本件保険金八百万円の五分に当る金四十万円をもつて相当とすべく、従つて控訴人は被控訴人に対し右金額から被控訴人において交付を受けたこと当事者間に争のない金三万円を控除した残額金三十七万円及びこれに対する本件訴状送達の翌日たること記録上明白な昭和二十七年十一月十七日から法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務あることが明らかであるから、右限度において被控訴人の本訴請求を認容し、その余を失当として棄却すべきものとする。

然らば原判決は正当で、本件控訴並びに附帯控訴はいずれも理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺葆 牧野威夫 野本泰)

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